インタビュー
記者として活躍している卒業生に聞きました
上井 啓太郎
海陽学園1期生(2012年卒)
中日新聞社
海陽学園の卒業生は多種多様な分野で活躍しています。今回は2012年に卒業し、現在は記者として活躍されている上井さんにお話を聞きました。
まずは自己紹介をお願いします。
東北出身で、海陽学園の1期生です。大学時代は外交史を学びながら、ジャーナリズムに携わりたいと考えていました。夢叶い、中日新聞に記者として就職しました。最初の配属は三重県津市で、警察や行政、経済を担当しました。2021年9月からは石川県の能登半島にある能登町、珠洲市の担当に。2024年8月からは名古屋本社に異動し、経済情報サイト「BIZナビ」の担当をしています。現在は東海4県の経済ニュースを取材し、地元企業トップの記者会見に出席することもあります。
在学時はどのような学生でしたか。
よく人と違うことをしていました。ハウス内のイベントで、自分が好きな昭和歌謡のものまねを披露したこともありましたが、その時も仲間が受け入れてくれたのが嬉しかったです。海陽学園では生徒がイベントを企画することが多いですが、その中でも特に記憶に残っているのは、5年生(高校2年)の冬の修学旅行を計画したことです。当時のハウスマスターや教員と相談し、保護者に旅行計画をプレゼンし、了承が得られたら行ってもよいということになりました。そこで、数人と計画を練り、説明資料を作ってプレゼンに臨み、無事了承を得ることができました。その計画は、なんと「皇居で1週間清掃ボランティア」でした。純粋にボランティアをしたいという思いだけでなく、東京で夜に自由行動を楽しむという狙いもあった訳ですが、今振り返ると、ボランティアをして当時の天皇陛下にねぎらいのお言葉をかけていただいたことが、とてもいい思い出です。
海陽学園での経験が現在のお仕事に生きていることはありますか。
能登半島で働いていて、2024年の元日に地震に遭遇したときのことです。周辺の道路が崩れ、1カ月半ほどは水がない厳しい環境の中で取材をしていくこととなりました。発災直後から東京、名古屋の援軍も来てくれて、そうした記者たちの拠点を設ける必要がありましたが、能登半島の宿泊施設は被害を受けていたため、やむなく私の家が取材拠点となりました。年代、普段の仕事の内容、考え方が違う人との共同生活となりましたが、それでも大きな苦労を感じることなく生活できたのは、海陽学園での6年間にわたる共同生活の経験が生きたと感じました。
卒業後に感じる海陽学園の魅力はありますか。
スマホ(当時はありませんでしたが)やゲームができない分、「友達と話す」機会が多く、他の人と関わることを避けてとおれません。考え方の違う人がいて意見を言い合うある種一つの小さな社会が海陽学園の中にはあり、その中でいろいろと折り合いをつけながら生活していきます。海陽学園でやっていけたら、社会に出てもやっていけると思います。こういった社会を生き抜く力を養えるのが、海陽学園の魅力の一つではないでしょうか。そういった濃い生活環境のもとで過ごす仲間とは、一生付き合える関係も築けると感じます。
最後に卒業生として、在校生や海陽学園への受験を検討している受験生にメッセージをお願いします。
【在校生へ】
この学校で取り組んだこと、経験は大人になったら、周りの人に興味を持ってもらえます。どんなことでも一生懸命にチャレンジしていってほしいと思います。自分の強みは何か考えながら、日々頑張って過ごしてください。
【受験生へ】
海陽学園では将来ずっと付き合っていける一生の友人ができます。ぜひ、海陽学園でそのような友人達と出会って欲しいと思います。




